徳川家康は、264年もの間続く江戸幕府を開き、天下を泰平に導いた人です。
戦乱の世を勝ち抜き、ついに天下人となった徳川家康とは
どのような性格の持ち主だったのでしょうか。
数多くの時代考証や歴史番組での解説を担当されている
小和田先生と、家康ゆかりの地・久能山東照宮の姫岡恭彦宮司が語る様々なエピソードから、
徳川家康という人を紐解いていきましょう。
インタビュー
其の壱
小和田 哲男先生
1944年 静岡市に生まれる
1972年 早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了
現在 静岡大学名誉教授、文学博士、公益財団法人日本城郭協会理事長
専門は日本中世史、特 に戦国時代史で、主著『後北条氏研究』『近江浅井氏の研究』のほか、
『小和田哲男著作集』などの研究書の刊行で、戦国時代史研究の第一人者 として知 られてい
る。
また、NHK総合テレビおよび NHK Eテ レな どにも出演 し、わか りやすい解説 には定評が
ある。 NHK大 河 ドラマでは、「秀吉」(1996年)、 「功名が辻」(2006年)、 「天地人」(2009
年)、 「江~姫たちの戦国~」(2011年)、 「軍師官兵衛」(2014年 )、 「おんな城主 直虎」(2017
年)、 「麒麟がくる」(2020年)に続き、2023年の「どうする家康」でも時代考証を担当することが決まっている。
数多くの時代考証や歴史番組での解説を担当されている
小和田哲男先生に、家康公についてお聞きしました。
小和田先生は家康公の性格についてどのようなお考えをお持ちでしょうか?
また質素な生活をしており、健康管理に力を入れていました。毎日本刀を振ったり、薬草園を所持し、川で泳いだりと地位ができてもだらしない生活を送らなかったことは家康公の堅実な性格を表しています。
インタビュー
其の弐
久能山東照宮
姫岡恭彦宮司
昭和33年2月22日生 現在 64才
昭和55年3月 國學院大學文学部神道学科 卒業
昭和55年4月1日 久能山東照宮奉職
昭和56年3月31日 久能山東照宮権禰宜
平成23年2月1日 久能山東照宮禰宜
平成23年8月31日 久能山東照宮 権宮司
平成24年8月1日 久能山東照宮博物館 副館長
平成31年3月27日 神道政治連盟静岡県本部本部長
令和2年6月1日 日本平観光協会副会長
令和4年4月1日 久能山東照宮 宮司
現在に至る
家康公ゆかりの地・久能山東照宮の
姫岡恭彦宮司に、家康公についてお聞きしました
その結果、家康公は75歳まで長生きをしましたが、49歳で亡くなった信長、62歳で亡くなった秀吉がこれだけの長寿であったならば、家康公の果たした天下統一はなかったかもしれません。
また織田信長や武田信玄の失敗や、自分自身の失敗から学び、同じ失敗を繰り返さないように自身で改善を繰り返していました。
❷彫刻に込められた家康公の平和への思い。
獏の特徴は、熊の身体に、像の鼻、犀の目、牛の尾、虎の脚を持つと言われています。一般には「悪夢を食う」動物として知られ、古くは正月に獏を描いた絵を枕の下に入れて寝る風習がありました。良い初夢を見るためです。獏の食料は鉄や銅で、世の中が乱れている時は、食料となる鉄や銅が武器になってしまうので、武器を必要としない、平和な時代にしか生存できない動物です。この平和の象徴とも言うべき獏の彫刻が、楼門に四体配置されていると言うことは、この楼門から東西南北の四方を睨んで日本の国の平和を願っていることを表していると考えられます。
司馬温公の甕割り
司馬温公は北宋時代の政治家でもあり学者でもありました。子供の頃大きな水甕のまわりで友達と遊んでいたところ、その中の一人が誤って水甕に落ちてしまいました。司馬温公は水甕を割って友人を助けました。大切な水甕を割ったので𠮟られる事を覚悟していましたが、父親は司馬温公をほめて改めて命の大切さを教えました。その彫刻が、皆さんがお参りする拝殿の賽銭箱の上にあります。家康公からの伝言「命を大切にせよ」です。
❹ご社殿にある逆さ葵。
東照宮とは、東照大権現たる徳川家康公を祀る神社のことで、全国に約130社が現存しています。その中でも、栃木県の「日光東照宮」、静岡県の「久能山東照宮」を二大東照宮とし、そこに東京の上野と芝の2社を加えた総称を四大東照宮と呼ぶことがあります。また、前記の二大東照宮に岡崎市の滝山東照宮を加えて日本三大東照宮と呼ぶこともあります。(※3つ目の東照宮については諸説あります。)
二大東照宮のひとつ、世界文化遺産「日光の社寺」に登録される日光東照宮の建造物は国宝8棟、重要文化財34棟からなり、また5000体を超える彫刻の中には「見ざる、言わざる、聞かざる」の<三猿>や名工・左甚五郎の作と言われる<眠り猫>などが特に知られています。
一方、元和2(1616)年、75歳で亡くなる家康公の、「遺体は久能山に葬り、葬儀を増上寺で行い、位牌は大樹寺に収め、一周忌が過ぎてから日光山に小さな堂を建てて勧請せよ」という遺言の通り、最初に家康公が祀られた場所が久能山東照宮です。名工・中井正清による極彩色の社殿は国宝であり、その他13棟の建造物は国の重要文化座に指定されています。
本殿の後方にある廟門から40段の石段を上った所に、家康公が西を向いてまっすぐ座った姿勢で土葬されたと伝わる神廟があります。
日光にも家康公のお墓がありますが、こちらは奥宮御宝塔(御墓所)と称されています。なお、家康公の命日である4月17日に現在の徳川御宗家が墓参されるのは久能山です。この日に久能山で最も重要な祭事とされる御霊祭が行われます。一方、日光東照宮の例大祭は一か月遅れの5月17日に行われますが、徳川御宗家はその日御墓所へはお参りされないそうです。徳川家の権力偉大さを存分に表すきらびやかで豪華な日光東照宮、徳川家康が幼少期と晩年を過ごした駿河の美しい自然に囲まれ、静謐に佇む久能山東照宮。
その他各地の東照宮には、永遠の存在、神となった家康公が祀られています。
久能山東照宮
小和田哲男先生、姫岡恭彦宮司のお話から見えた家康像を まとめてみました