久能山東照宮

静岡県静岡市駿河区根古屋3904

久能山東照宮 公式HP
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久能山東照宮は、徳川家康公をご祭神としておまつりする全国東照宮の創祀です。家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。博物館内には家康公ゆかりの品が多数展示されています。

清見寺

静岡市清水区興津清見寺町418-1

清見寺 公式HP
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清見寺は、『臨済宗妙心寺派』に属し、本尊は『釋迦如来』、開山は『関聖上人』です徳川家康公が幼少時代に今川家の人質として駿府に在りし頃、清見寺の住職でもあった雪斎禅師に教えを受けたことは有名です。 現在清見寺には、「家康公手習いの間」の遺構が残されています。また、家康公は江戸幕府を開いた後、朝鮮王朝との国交を回復するため、467名の朝鮮使節団を駿府城へ招きました。その使節団の宿舎として清見寺を選び、寺には駿府城で家康公と対面した朝鮮通信使の正使・副使・参事官の七言絶句の額なども残されています。

静岡浅間神社

静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1

静岡浅間神社 公式HP
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駿河国総社・静岡の総氏神さま、駿河の大社として広く信仰されています。今川家の人質であった徳川家康公は、今川義元公が烏帽子親となって当社で元服式を行いました。そして、天正9年(1581年)家康公は武田家攻略にあたり戦勝を祈願し、平治の後に必ず再建すべく祈誓を為して社殿を焼き払い、当社背後にあった武田方の賤機山城を攻め滅ぼしました。天正14年(1586)にはその誓いを果たすべく東海各国に勧進を行い、慶長年間社殿が造営されるに至りました。このような家康公のあつい尊崇を受けて、大御所として入府以来崇敬の真心を捧げ、徳川幕府の祈願所と定めました。なお、大河ドラマ「どうする家康」にちなんだ大河ドラマ館が2023年1月、神社の境内にある静岡市文化財資料館に開設される予定です。

駿府城公園

静岡県静岡市葵区駿府城公園1-1

駿府城公園 公式HP
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天正14年(1586)、五カ国の大名として浜松城から駿府に移った家康公は、駿府今川館の跡地に駿府城を築きました。天正18年、家康公は、秀吉の命により関東に移封します。その後、慶長12年(1607)に駿府に戻った家康公は、三ノ丸を拡張し、天守などを修築。同時に駿府の町割りや安倍川の治水事業に取り組み、現在の市街地の原型を造りあげました。東御門・巽櫓と坤櫓は、寛永15年に建てられた城門を再建したもので、東御門内には大御所時代の駿府城と城下町を紹介する展示があり、巽櫓内には家康公が人質時代に学んだ臨済寺「竹千代手習いの間」のレプリカを展示しています。

臨済寺

静岡県静岡市葵区大岩町7-1

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臨済寺は駿河の戦国大名・今川家の菩提寺で、今川館の北西に当たる賎機山の麓に位置します。今川家の人質になっていた竹千代(後の徳川家康)は、住職である太原雪斎の教育を受け、この地で受けた教育が家康公の後の人生に大きな支えとなりました。二度の戦火により焼失していまいましたが、家康公により現存する本堂が再建され、その後も代々江戸幕府からの庇護を受けました。現在、「竹千代手習いの間」は復元されています。臨済禅の修行場であるため、「拝観謝絶」とあり普段は非公開ですが、年に2回(春/月19日/秋:10月15日)一般公開があります。 ※山門まで見学可。境内見学不可。

浜松城

静岡県浜松市中区元城町100-2

浜松城 公式HP
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天下人となった徳川家康が、若き頃に戦国の世に名を上げた周辺諸国の名家、今川、武田、織田など巨大な戦国大名に囲まれながら、戦い生き延びて天下取りの夢をつかんだ場所が、出世城と呼ばれた浜松城です。1570年に家康公が浜松城に入城した際に引馬を浜松と改めたとされ、荒く組まれた野面(のづらづみ)積みの石垣は、ほぼ戦国時代そのままの姿で残っています。

浜松八幡宮

静岡県浜松市中区八幡町2

浜松八幡宮 公式HP
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境内に茂る「雲立の楠」は、三方ヶ原の戦いで敗走してきた家康公がこの樟の祠に逃げ込み追手から身を隠していたところ、突然雲が立ち上がり、神霊が白馬に跨って浜松城へ飛び立つのを見て勇躍した、という伝説からこの名が付いたといわれています。樹齢千年を超えるご神木で、かつて家康公もこの木に武運を祈願したたそうです。

家康公鎧掛松

静岡県浜松市中区八幡町2

浜松市 公式HP
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西暦1573年、家康公が三方ヶ原の戦いから命からがら浜松城へと逃げ帰った際、ようやく安心して場内にあった松の木陰で休み、鎧を脱いで松にかけたという伝説から名付けられました。初代の松は浜松城の堀の近くにあったといわれていますが、現在の松は3代目で、浜松市役所の西側にあります。

写真提供:浜松・浜名湖ツーリズムビューロー

大樹寺(だいじゅじ)

愛知県岡崎市鴨田町広元5-1

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松平家、徳川将軍家の菩提寺である浄土宗の寺院で、家康公の木像、徳川歴代将軍の等身大の位牌が安置されています。桶狭間の戦いで敗れた家康公が逃げ帰り、自害を試みた際に住職から「太平の世を目指す」という教えを受けて思いとどまり、再起を誓ったという歴史的に大きな役割を果たしたお寺です。

写真提供:岡崎市

伊賀八幡宮

愛知県岡崎市伊賀町東郷中86

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松平家(徳川家の祖)の4代目当主・親忠により松平家の守護神として創建されました。将軍家の厚い崇敬を受け、家康公も大きな合戦の時には必ず参拝したといわれ、徳川家の武運長久・子孫繁栄の守護神とされています。岡崎の春の風物詩である家康行列の出発地で、家康公の戦勝祈願に習って出陣式が行われます。葵御門のお守りは必勝祈願アイテムとして要チェックです。

写真提供:岡崎市

岡崎公園

愛知県岡崎市康生町561-1

岡崎公園 公式HP
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家康公が生まれた「岡崎城」、家康公生誕の朝に城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れて昇天したという伝説の残る「龍城神社」、家康公の産湯に用いられたという「東照公産湯の井戸」、家康公のえな(へその緒・胎盤)を埋めたとされる「東照公えな塚」などパワースポットが満載です。「三河武士のやかた 家康館」では家康公の出生から天下統一までと、それを支えた三河武士達を常設展で5つのコーナーに分けて解説しています。

写真提供:岡崎市